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2010-06

more is more

「夢の島」-現代沖縄における風景と観光-(地域計画特論テキスト)安藤徹哉 琉球大学 2007
・観光とは、何かに対してあこがれ(勘違い)のまなざしを向けること。
・戦後復興期、沖縄にアメリカ文化が米軍基地を通して入ってきた。
・70年代に入ると、「異国の雰囲気」のタレントがヒット
・1975年沖縄国際海洋博覧会が経済的効果と社会・文化的効果の相互作用を生み、リゾート開発は成功したが、海の商品化を招く結果ともなった。
・1980年、象設計集団は集落生活空間を調査再解釈し「沖縄らしい」近代建築の傑作を生み出した。この時期に沖縄は、文化的に一つのピークを迎えていた。
・80年代以降に、沖縄はマスツーリズムの時代を迎え、TV番組や首里城復元・沖縄サミット等を伴って沖縄ブーム・癒しの島ブーム到来。しかし統計データに示される沖縄社会の現実は、メディアの伝える姿とは異なる。
・きちんとした生活空間があって初めて観光地も生きてくる。表層的な観光地の景観と日常的な生活の場の風景はある程度、分けて考える必要がある。

近代以降の紅型と伝統 : 「沖縄の色合い」をめぐって / 村松 彰子 沖縄県立芸術大学 2006
・「在来の技術」だった「紅型」が明治以降に「伝統工芸」化や「土産物」化し固定的規範化を招いた。(「伝統の創造」)
・一方「本物の伝統」を受け継ぐ作り手たちは生活・慣習に沿って柔軟性・融通性を持っている。
・「創造された伝統」における真贋判定と対照的に、
「本物の伝統」では、受動的な「生活の場」における「伝承の真正性」が、「本物らしさ」を決める。

■双方興味深く読みました。
オリエンタリズム,観光化,土産物化等に対して、「きちんとした」「生活の場」を見直す姿勢が重要だということでしょうか。確かに。ただ、ここ沖縄では、国際通りを歩くまでもなく、その日常生活の場や言説自体がオリエンタリズムに満ち溢れてしまっているように見える。そのような「生活の場」が再生産され,増殖し始めている。

もはや「見つめ直せ」ば直すほど、どんどんハマっていくのです。

スカボロー・フェア

「少し間が空きましたが」などと言いながら始まるブログ記事のなんと多いことよ。

次に進みます。

戦後沖縄の近代建築における地域性の表出 / 小倉暢之,琉球大学 2006

戦後、米軍によってコンクリート建築が導入され、
気候・生活にあわせて「沖縄らしく」なった。

本土復帰運動や米軍統治の錯綜過程において、
沖縄文化のアイデンティティ再燃が起こり、建築分野では
琉球政府立博物館、那覇市公会堂の設計競技および建設が行われ、
これによって、「ヒンプン・アマハジ・赤瓦」が沖縄らしい建築モチーフとして
その後のデザイン展開に影響を与えつつ定着した。

■政治的事情によって導入された技術だが、
それが「現にそこに住んでいる人々」によって工夫されて使われた、
ので、その場所(沖縄)「らしさ」を形成した。
■政治的事情によって刺激された文化的アイデンティティが、
事件と議論を通じて共有された。

政治と「沖縄らしさ」は切り離せないということでしょうか。
もうひとつ、
琉球政府立博物館における昭和42年(1967)日本古美術展について : その文化的政治的含意
喜屋武 盛也 沖縄県立芸術大学 2007

米軍統治下の外国・沖縄における、「日本美術史」の(再)形成。
日本政府による明治以来の官製美術史プロジェクトの戦後的形態、について。

■ややこしいですが、
琉球を文化的に日本から切り離そうと、
米軍によって近代性を(「沖縄らしさ」でなく)強調された博物館で行われた、
日本政府による日本古美術展の政治的意味。
沖縄を舞台に日米政府の文化的≒政治的小競り合いが繰り広げられた様子について。
その争い以前に、当の琉球は米軍に簡単に抑えられています。

ほんと、ややこしいですね。

ところで、先日
文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方  吉野 耕作 (著)

という本を読みました。

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