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コンドルは飛んでいく

  • 2010-05-15 (土) 1:16
  • 沖縄

次に行きます。
●近代における「琉球建築」の成立と地域社会/ 登谷 伸宏 京都大学 2008

2年前に書かれたもののようです。

・伊東忠太が沖縄で学術調査(1924)を行い、
「日本建築」との関係において「琉球気分」による「琉球建築」を位置付けた。
・先行する伊波東恩納の琉球文化研究と啓蒙は、類似の内容だったが一般に疑心を持たれていた。
・一方、帝大・伊東らの評価が地元県人に受け入れられたのは、
それと大和同化への関心と期待が一致したため。また内地人による説だったため。
・この調査を一因に、琉球古建築等の価値が見直されるようになった。

→大和同化への関心と期待すなわち「日琉同祖論」と考えていいのだろうか。
・日琉同祖論
・統合の言説としての日琉同祖論 石田正治 九州大学
・日琉同祖と沖縄人の個性: 伊波普猷論のための覚書 石田正治 九州大学

■要するに伊東忠太らの調査を、
日本と源流を同じくする琉球は少し変わった日本であって、
むしろ日本より日本らしい、源流としての日本であると、
琉球側はそう理解し歓迎した。

ということでしょうか。

何とも切ない感じがします。
アイデンティティについての議論は、曖昧な部分が残りがちである。
なのに当代の「知識人」が、何故それを言い出すかというと、
政治的な動機によってということになるのだろうか。

区別でなく差別や同化などというものは、大抵理不尽に都合によってするものであって、
だとすると、それをやめさせる為の訴えも理不尽にならざるを得ない。ということかしら。

ところで当時の状況は、

・1871-1873 岩倉使節団 欧米へ
・1872-1879 琉球処分
・1877 東京大学設立
・1879 辰野金吾 工部大学校卒業(東大建築1期生)
・1882 第1回沖縄県費留学生(沖縄県最初の学士・東京への「留学」)
謝花昇  (1865-1908:東大農学部)
岸本賀昌  (1868-1928:慶応義塾)
太田朝敷  (1865-1938:慶応義塾)
高嶺朝教  (1868-1939:慶応義塾)
今帰仁朝蕃(学習院?)
・1890 初の衆議院議員総選挙(内地)
東京美術学校「日本美術史」講義 岡倉天心(1863-1913)(日本美術史の起こり)
・1892-1908 第4代県知事 奈良原繁在職
・1892- 「日本佛寺建築沿革略」 石井 敬吉
・1893 「法隆寺建築論」  伊東 忠太(日本建築史学の起点)
・1894-1895 日清戦争
・1896 漢那憲和(1877-1950) 沖縄県出身者として初めて海軍兵学校に入学
・1904-1905 日露戦争
・1912 沖縄県に衆議院議員選挙法適用
・1914-1918 第1次世界大戦
・1916 「稿本日本帝国美術略史」:日本初の美術史本
■1924 琉球学術調査
伊東忠太 (1867-1954)当時57歳
鎌倉芳太郎(1898-1983)当時33歳
太田朝敷  (1865-1938)当時59歳
高嶺朝教  (1868-1939)当時56歳
真境名安興(1875-1933)当時49歳
伊波普猷 (1876-1947)当時48歳 このころ再度上京する。
・1926 「日本建築史要」天沼 俊一(1876-1947):日本初の日本建築史概説書

です。伊波普猷先生再度上京しました。

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