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褒めて伸ばすというけれど

  • 2010-05-21 (金) 1:18
  • 沖縄

どんどん行ってみます。
●大正期沖縄県下における公共建築の特性 : 「琉球」的なる風土との関係 / 川島 智生 神戸女学院大学 2008

 

・明治大正期の沖縄「近代建築」に見いだせる琉球風(沖縄らしさ)について
・1919に鉄筋コンクリート造 那覇区役所竣工(着工1917年) 設計:秦泰親 顧問:武田 五一(1872-1938)
・同区役所は武田五一の関与により「トロピカル・スパニッシュ・ミッション」スタイルに
・当時の武田五一は各様式の融合を考えていた、
・スパニッシュ・ミッションは瓦で勾配屋根なので日本建築に融合しやすい
・沖縄は亜熱帯だから、亜熱帯気候特有の「スパニッシュ・ミッション」すなわち
「トロピカル・スパニッシュ・ミッション」に日本趣味を加味することがふさわしい、 と武田は考えた。
・屋根は赤瓦葺き、東西融合様式にセッセッション―イスラム様式も加味

 「近來東京市に建築せられつつある商館建築の形式に就て」1909
p372
「近頃では両派の合同が次第に行はれて、大分世の中が面白くなりかかって来た、
建築界にも早く此様な時期の来るのが望ましい」
「格好形式の事は此の位にして置いて第三の色について云ふ・・・と」
「パナマ太平洋萬國博覽會所見」1915
ラテン系の様式を集めた会場構成を評価。
1.ラテン系様式の祖はイタリアである
2.イタリアの気候は「半熱帯」で、会場のあるカルフォルニアのそれと似ている
3.ラテン系の様式としては伊・仏・西と3種あってそれを組み合わせ、
さらに東洋趣味を加えてあり、パナマ海峡開通を記念するにふさわしい。

・1916年頃 県会議事堂兼公会堂竣工
1914年頃設計:中條精一郎(1868-1936) 洋風ルネサンス式木造2階建
・昭和初期から鉄筋コンクリート造に屋根付校舎が出てくる。
他府県にはない事例で、しかも(赤?)瓦葺き。
・1917年 県立工業徒弟学校校舎 設計:樋口敏彦 洋風独逸式木造2階建・赤瓦葺
・1928年 県立第三中学校 屋根が瓦葺き
・1931(30?)年 県立第一中学校 洋風鉄筋コンクリート屋根が(赤?)瓦葺き
・1917年 那覇バプティスト教会 設計:ヴォーリズ
「西洋造りに琉球風を加味せる風変わりの建物」
・赤瓦は上流階級に許された素材=「いいもの」だった。
・しかも気候に対する必然があった。→沖縄の風土にふさわしかった。
・他府県出身者からは、独特の文化として肯定的に評価された。

■明治大正期に他の地域から来た人々に赤瓦葺がよいものだと評価され、
さらに「沖縄らしい」ものだと認められたうえで、その人々によって
新しい使い方が探求され始めた。

ということですね。その当時現地沖縄の人々はどう感じていたのでしょう。
まあ、褒めてくれるんだから誇らしかったのでしょう。か。どうかな。

また切り張り年表してみました。
・1871 泉布観 設計:トーマス・ウォートルス
・1872 富岡製糸場 設計:アンリ・ブリューナー
・1883 鹿鳴館 設計ジョサイア・コンドル
・1891 ニコライ堂 設計:ジョサイア・コンドル
・1896  日本銀行 設計:辰野金吾
■1897 沖縄初の洋風木造建築の南陽館建造
■1901 沖縄銀行行舎完成
・1903 フランクリン街のアパート(世界最初期の鉄筋コンクリート建築)
設計:オーギュスト・ペレ(1874-1954)
■1907 第百四十七銀行竣工 煉瓦造
■1908 石垣島測候所 煉瓦造2階建
・1910 京都商品陳列所 武田五一 「我国最初の鉄筋混凝土造建築物」
・1913 三井物産横浜ビル 鉄筋コンクリート造4階建 地下1階 設計:遠藤於菟(1866-1943)
■1916年頃 県会議事堂兼公会堂竣工 設計:中條精一郎(1868-1936) 洋風ルネサンス式木造2階建
■1917年 那覇バプティスト教会 設計:ヴォーリズ
■1919 那覇区役所 設計:秦泰親 顧問:武田 五一(1872-1938)
■1925 金武小学校大宜味村役場庁舎が竣工 鉄筋コンクリート造 設計:清村勉 施工:金城組
■1926  石垣島測候所が鉄筋コンクリート造となる。これかな?
■1929 伊江村公益質屋 設計:清村勉
■1931(30?)年 県立第一中学校 洋風鉄筋コンクリート(赤?)瓦葺き屋根

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